楊枝について

 

楊枝を初めて使ったのはネアンデルタール人で、およそ10万年前といわれています。
歯の化石に、縦の筋が見られ、これは堅い楊枝で歯をこすった跡だと推測されています。
その時代は、野性に近い生活をおくり、食物を柔らかくして食べる調理方法も発達していなかったので、歯がどれほど重要であったか想像に難くありません。ちなみに、木の枝で歯を磨くチンパンジーがいるということも報告されています。


紀元前500年頃、お釈迦さまが弟子達に歯木で歯を清潔 にすることを教えました。歯木とは、木の枝の一端を噛んで毛の毛先のようにブラシ状にしたものです。
その後中国へと仏教と共に渡り日本へは5世紀頃の奈良時代に仏具と共に伝承されました。

仏法では、食後に水を口中に含んで三たび回転させることを「嗽口(そうこう)」といい、そのあと楊枝をもって歯を清めることを大切な作法と定めています。
楊枝は文字通り楊柳(かわやなぎ)の枝で、枝端を噛んで 細くし、そのときに出る樹の汁で歯を磨くのを習いとしました。すなわち楊枝とは今日でいう歯ブラシに他ならなかったのです。

 

 

 



「大日本物産絵図」(三代目広重画)には、日本三景のうち芸州厳島神社の堂中に商ふ楊枝は柳にてつくり、五色の色を染めて美しい…とある。

楊枝は江戸時代には、主に小間物屋(化粧道具などを売る店)や楊枝専門店の店先で作られ、販売されていました。
楊枝店の様子が国貞や歌麿の浮世絵で見ることができます。
宝暦の頃(1750年代)から茶屋と共に楊枝屋も盛んになり美人の看板娘を置いて風俗営業として繁栄を競いました。 
とくに浅草寺の境内では楊枝屋が江戸中期に83軒、文化末期(1815年)には249軒もあったことからその普及ぶりが知られます。

そもそも楊枝といっても、様々な種類の材料が使われています。日本では楊枝は楊柳、白揚柳、黒文字、卯木、などがあります。
さるやは、一本一本手作りの折ると芳香がある黒文字を使用し、高級和菓子用の楊枝や贈答用の桐箱に入った楊枝を300年にわたり商い続けています。
黒文字・楊枝専門店として、由緒ある料亭や誰もが知るような和菓子の銘店などの企業様から、年賀など贈り物として粋なおもてなしを推奨する人々に愛されています。

芳香のほかにも黒文字楊枝の特長は、しなやかで歯あたりがよく、弾力性に富んで折れにくく、ささくれることもありません。


 


クロモジは、楊枝の最も貴重な材料とされる植物です。北海道から 九州まで全国の山野に自生するクスノキ科の落葉灌木で、高さは普通2メートル前後です。樹皮は帯緑黒色で一面に黒い斑点 があり、葉は長楕円形。イチョウと同じ雌雄異株で春になると 葉に先だって淡黄色の花を多数、散形につけます。

果実は小球果で、実ると黒くなり、ナンテンに似たその黒い実 からクロモジの名が出たといいます。

葉や小枝を蒸留して得る油性の物質は黄色で芳香があり、香 水・石鹸・化粧品などの香料に用いられます。
別名、鉤樟油(こう しょうゆ)。漢方の重要な生薬の一つでもあります。そのまま楊枝の代名詞になっている黒文字は、背丈1メートル ばかりで直径わずか1センチほどの若木を伐って楊枝にします。